パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2015年11月27日金曜日

散歩R(11-2) ルピック伯爵の家 Ancienne demeure du comte Lepic(9区サン=ジョルジュ地区)

(c) Google Streetview,
46 rue de La Rochefoucauld, 9e
☆ラ・ロシュフコー通り46番地 (46, rue de La Rochefoucauld, 9e) 《ルピック伯爵の家》Ancienne demeure du comte Lepic

1874年の第1回目の印象派展の発起人として名前を連ねながらも、作品の展示がなかった人が何人かいた。印象派の画家エドガー・ドガ(Edgar Degas, 1834-1917)の親しい友人ルピック伯爵(Ludovic-Napoléon Lepic, le comte, 1839-1889)もその一人である。彼の祖父も父親も軍人で、特に祖父のルイ・ルピックは大革命とナポレオン時代に軍の主要な将軍の一人として勇名を馳せ、モンマルトルの通りにもその名前が残されている。
そのために三代目の彼にはリュドヴィック・ナポレオンという大仰な名前がつけられたようだが、彼は専ら美術と考古学に興味を持ち、絵画はカバネルなど何人かに師事して学んだ。他には動物版画やエッチングに才能を示し、「オー・フォルト・モビル」(可動性エッチング、Eau-forte mobile)という新しい技法を考え出した。
彼はこの家のほかに9区のモーブージュ通りにもう一軒持っていたが、そちらは現代建築に建て替えられている。




E.Degas : Place de la concorde (1875)
Musée Hermitage, St Petersbourg; Wikimedia Commons
ドガとは家族同士の付き合いから親しくなり、特にオペラやバレエの観劇、競馬場通いなどブルジョアの娯楽に共通の趣味を持っていたので、ドガが印象派の活動に誘ったようだ。しかしルピックの絵は古風なアカデミックな手法で、印象派の画家たちの思惑からはほど遠く、議論の末に第1回目の展示から除外させることが決められた。(LAI)
 しかし2年後の第2回目の印象派展には他の参加者よりも最多の36点が展示された。ルピックの心情を汲んだドガのとりなしと、参加者の減少で基準が甘くなったからかも知れない。
(↓)下掲はルピックの当時の絵の一つで南仏の海辺の風車を描いたものだが、平凡で陳腐な作品としか思えない。



Lepic : Moulins à vent à Cayeux-sur-Mer (1873)
Marseille, MuCEM, Musée des Civilisations de
l'Europe et de la Méditerranée
Crédit : Photo (C) MuCEM, Dist. RMN-Grand Palais
/ image MuCEM
(↑)上掲のドガの絵の斬新さと比べても、その表現力の格差は明白である。ルピック伯爵とその二人の娘の姿はこの「コンコルド広場」と題された絵の中に生き生きと描かれている。