パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2016年1月13日水曜日

散歩R(16-3) ルノワールのアトリエ Emplacement de l'atelier d'Auguste Renoir(9区サン=ジョルジュ地区)

☆サン=ジョルジュ通り35番地 (35, rue Saint-Georges, 9e)
《画家ルノワールのアトリエ》 (Emplacement de l'atelier d'Auguste Renoir)
(c) Google Map Streetview
 35, rue Saint-Georges, 9e

1873年、32歳のルノワール(Auguste Renoir, 1841-1919)は、画商のデュラン=リュエルに何点かの絵を買ってもらって得たお金をもとに35番地の最上階6階にアトリエを構えることができた。この家にはすでに弟のエドモン(Edmond)が住んでいた。ここには新たな絵画表現という目的を共有するモネ、ピサロ、ドガ、シスレー、ギヨーマン、セザンヌなどの画家たちが集まる場所となり、彼ら独自のグループによる展覧会を開こうと、その年の12月27日にいわゆる「実行委員会」のような法人組織を立ち上げた。仮の代表には、彼らと親しい近所の画商マルタン親父(Père Martin)ことピエール・マルタン(Pierre Martin)が指名された。このアトリエを中心に準備のための会議が重ねられた。

Renoir : L'Atelier de la rue Saint-Georges (1876)
The Norton Simon Museum, USA
@Wikimedia commons




まだこの時には《印象派》(Impressionniste)という名称は使われていない。第1回目の展覧会は1874年4月15日から1カ月間、キャプシーヌ大通りにあった写真家ナダールのスタジオ跡で開催された。参加者は29名、出展作品は165点となった。

彼らの作品はこれまでのフランス絵画の伝統と技法に真っ向から対立する立場が鮮明であったため、サロンには毎年落選を続けていたので、彼らの独自の展覧会は嘲笑と蔑視の対象となった。展覧会の収支も大幅な赤字となった。

(←)左掲の絵はルノワールが1876年に描いた『サン=ジョルジュ通りのアトリエ』という作品だが、画家のアトリエ紹介というよりも印象派の画家たちの会合の様子が描かれており、世間の無理解に屈服することなく、その後も展覧会を開催し続けた彼らの情熱をうかがい知る貴重な絵である。計8回に及ぶ印象派展によって彼らの評価は次第に高まり、フランス美術の潮流を逆に支配することになる。このアトリエは印象派のゆりかごでもあったと思う。(LAI, PRR)


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