パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2016年4月5日火曜日

散歩R(28-2) カジノ・ド・パリ劇場 Théâtre de Casino de Paris(9区サン=ジョルジュ地区)


☆クリシー通り16番地 (16, rue de Clichy, 9e)
《カジノ・ド・パリ劇場》(Théâtre de Casino de Paris)
PA00089008 © Monuments historiques, 1992
(c) Google Map Streetview
 16, rue de Clichy, 9e

カジノ・ド・パリ劇場は大胆なアーチ型の正面とアール・デコ風のモザイク窓に特徴がある。カジノとは元々イタリア語の「小さな家」の意味だそうで、ここは賭博場ではない。19世紀の末頃に「演舞場」、「園遊会場」として名付けられた。現在の建物は1917年に建築家のマルセル・ウーダン(Marcel Oudin, 1882-1936)によって初期の鉄筋コンクリート建築の1500席の劇場として建てられた。

元来ここの土地はルイ15世の時代に広大な貴族の庭園に設けられた園遊会場であり、「フォリー・リシュリュー」(Folie-Richelieu)と呼ばれた。フォリー(folie)は普通名詞では、狂気、狂乱、熱狂の意味で、音感の似ているフォワール(foire)がお祭り、縁日、遊園地なのだが、それよりも羽目を外した乱痴気騒ぎをする場所だと言いたかったのかもしれない。

(↓)下掲のポスター絵は19世紀末のベル・エポック時代のものだが、劇場でのレヴュのほかに長大な遊歩回廊(プロムノワールpromenoir)の中にカフェやダンスホールがあったことがうかがえる。仮装舞踏会、仮面舞踏会も頻繁に開かれていた。
第一次大戦後のいわゆるアール・デコの時代には、ミスタンゲット(Mistingett)やモーリス・シュヴァリエ(Maurice Chevalier)、そしてジョゼフィン・ベイカー(Josephine Baker)などの大スターのレヴュが全盛となった。

*参考Link : Casino de Paris: Histoire d'une salle mystique(カジノ・ド・パリの略史・仏語)
https://www.casinodeparis.fr/fr/histoire

Affiche de Casino de Paris, 16, rue de Clichy par Georges Coutau
@BnF Gallica

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